スピングラスを研究しはじめた理由 (03/10/11)

スピングラスを研究対象としてはじめて意識したのは、たしか、3年以上まえ だった。aging 現象に関する非常に面白い実験結果(「若返り」や「記憶」)を 知ったときである。(物理学会誌8月号の佐々木さん、根本さんの解説を参照。 非常によく書けていると思う。) ただ、自分独自の研究戦略は思い付かなかった。 現象論的なモデルは自分でもそれなりのものは考えれるかもしれないが、 もう既にいくつか提案されていたし、この実験を考察するなら、もっと どっしりとやりたいなぁ、とも思っていたので、「そのとき」がくる タイミングをまつことにした。

今回、具体的に手を動かしはじめたのは、その実験結果を考察するよい方針が 思い付いたからではない。もっと単純な話である。 もちろん、上で述べた実験との関係はつねに意識しているが、その意識をまだ前 にだすことはない。背景と当面の具体的な問題設定は以下のとおりである。

背景1: スピングラス系で、one step RSB がおこったときのFDT がどおように破れ るかについて、2点関数のclosure がexact になるモデルで示された。 [L. F. Cugliandolo and J. Kurchan, Phys. Rev. Lett. {\bf 71}, 173, (1993). ] このとき「Aging 領域」はFDTが破れる時間スケールとして明確に定義される。 ただ、不思議なことに、「有効温度」をうまく定義すると、その領域でもFDT が 復活するようにみえる。そこで、この「有効温度」の測り方を議論し、 「それは真の温度である。」と宣伝したのが、文献 [L. F. Cugliandolo, J. Kurchan and L. Peliti, Phys. Rev. E {\bf 55}, 3898, (1997).]である。 しかし、これはどうみても形式的な議論であり、真面目にうけとる気がしなかった。

背景2: ところが、FDT violation factor が温度として意味をもつことが、 数値実験で次第に明らかになってきた。とくに、ずりガラス的系における数値 実験 [L. Berthier and J-L. Barrat, Phys. Rev. Lett., {\bf 89}, 095702, (2002).]が見事である。あるtracer 粒子の速度分布をみることにより、 FDT violation factor からきまる有効温度が、tracer 粒子のマクスエル分布 にあられることを示したのである。

背景3: ランジュバン非平衡定常系において測定可能な有効温度の考え方に 到達した。[K. Hayashi and S. Sasa, cond-mat/0309618] (日記で書いてきた ように、FDT violation factor が温度として解釈できることを最初から狙って いたわけではない。摂動ポテンシャルに対する応答が、予想していた結果と 違っていたので、その解釈を模索していた。その応答がFDT violation factor と一致することを理解したのは、研究の最終ステージである。ちなみに、 背景2の論文を知ったのは、論文草稿を書いてからである。。。) ところで、非平衡定常状態においては、拡張された熱力学関数にもとづく理論 体系がゆるやかに発展している。非平衡定常系の有効温度が真に熱力学的に 意味があるなら、それは拡張された熱力学関数の枠組において理解される はずである。(そうでなければ、有効温度などという量は意味がない、といいきって いいと思う。学会での伊藤氏のコメントのとおりであろう。) それに向けた具体的な展開は、H-S III a 多体系版として、現在進行中である。

自然な問:背景1〜背景3をふまえると、「スピングラスで one-setp RSB が 生じたときにみられる Aging領域の FDT violation factor を温度として測定 する方法は如何に?」(= 最初の問) というのはきわめて自然な問いかけである。 ここでの測定する方法とは、CKP がやったような形式的な議論ではなく、実験室 での実際の実験を想定している。そして、もしこのような測定方法があるなら、 それは、スピングラスの Aging領域における「拡張された熱力学関数」という アイデアにつながっていくだろうし、そういう世界と冒頭の実験との関係を 考えていくことにより、実験結果を深く考えていく動機を与える。

最初の一歩:何はともあれ、最初の問いに答えないとはじまらない。そのために、 ぼーとしていてもはじまらないので、具体的にモデルを触わりたい。なるべく簡単な モデルを触って、最終的にはモデルの特殊性に依存しない測定方法をみつける。 ところが、スピングラスの数値計算は大変である。最初の一歩からいきなり 「だるま状態」であるが、好運なことに、ふくしまさんという強力な専門家が 近くにいてくれた。おかげで、モデルの選択からはじまって計算方法の詳細に いたるまで全面的にお世話になることができて、最初の問いに答えるための 準備は快調にすすんでいる。 例えば、aging 領域の FDT violation factor を数値実験でつかまえることはもうすぐできそうである。(これを 3次元 Hesenberg スピングラス模型でやっていたなら、それをだすだけで研究持続力 の限界を越えていただろう。) 同時に、測定方法に関するアイデアもぼちぼち とあるので、そのアイデアの熟成にとりかかっている。