局所から大域へ -- 逆の見方か、自然な見方か? --

佐々 真一

2001年8月26日

運動方程式の縮約というのは、100年以上の長い歴史がある。今では、縮約できる ものについては、技術的な方法が整備され、数学的な証明も「かなり」されてきた。 例えば、弱非線形解析で非線形振動子を振幅方程式を導出する方法を説明した 本も数多く出版され、その技巧をマスターすれば、色々と応用ができる。

しかし、技巧を習得した人に「じゃぁ、解はどうなっているのですか?」という 質問をしたときに、即答できる人は意外に少ないと思う。僕自身も即答できな かっただろう。これには理由があって、「最低次の計算をするとき、解よりさ きに、振幅方程式がわかる」という特殊事情があるからである。この特殊事情 は、「技巧の進化」によって獲得されてきたもので、もちろん、喜ばしいこと も多い。解の定性的なことを知りたければ、振幅方程式の振舞だけで十分だから である。

真の解は、振幅方程式の解で記述されるおおまかな振舞とその残りの局所的に ばたばたする部分からなる。振幅方程式の解は、局所的な部分を切り離した もの、だともいえる。(Bogoliubovらの方法だと、「平均化法」といわれる。) つまり、こういう摂動論では、大域的な構造が先に計算できるようになって いるのである。

ただし、n次の振幅方程式を計算するには、(n-1)次の局所的な歪みをもとめる必 要がある。こうして、高次の計算をまじめに考えていくと、振幅方程式と局所的 な歪みの関係をきちんと理解する必要がでてくる。数学の中心多様体理論を理解 すれば、収束証明などは別にして、考え方の骨格はわかる。つまり、近似の程度 をあたえたとき、振幅方程式と局所的な歪みは同時にあるのであって、振幅方程 式が先にあるわけではない。(このような立場で力学系の縮約を解説したのが、 Y. Kuramoto, Prog. Theor. Phys. Suppl. {\bf 99}, 244 (1989). )

ここでもう一歩突っ込んで「自然さ」を考えると、むしろ、解を考えるときに、 局所的な表現で書けないものを、振幅方程式として書く、と考えるのがもっとも 自然な見方であるように思える。この自然な見方を定式化したのが、Goldenfeld と Oono のくりこみ群による力学系の縮約である。 面倒なことに、振幅 方程式を後から考えので、技巧的には悪く、実際、振幅方程式を求めるための 計算の手数は(相当)増える。

キャッチフレーズ的にいうなら、「『大域から局所へ』は技巧の産物であり、 『局所から大域へ』こそが自然な道である。」

力学系の縮約を議論しているときには、いまのところ、「自然さ」という問題 に過ぎない。しかし、SSTのとっている戦略は、まさしくこれと同じなのである。 (どちらも大野さんが「始祖」。大野さんは徹底して「自然さ」を追求するから。)

従来の非平衡論では、局所的な平衡という土台にたって大域的な非平衡を問題 にしてきた。線形非平衡領域までは、この戦略は成功をおさめた、といってよい。 (多くの未解決問題はあるが。) しかし、非平衡度の2次のオーダーからは、極端 に理論が無力化する。強引な力業で「計算」する研究は多々あるのだが、もはや そこには体系はない。

当然といえば当然だが、非平衡度が大きくなれば、局所的な平衡という土台が かわってくる。だから、外力が大きいところでの応答の奇妙な振舞がどうした こうした、、、の前に、ここの変更を議論しよう、というのがSSTなのである。

摂動論的にいうなら、非平衡度の1次のオーダで、既に土台も変更されている のだが、振幅方程式の場合と同様に、(技巧をこらせば)先に輸送が議論できる ために、この土台の変更は意識されないこともある。Goldenfeld - Oono流に いうなら、非平衡度の1次のオーダーの変化のうち、局所的な表現で書けない ものを「輸送」としてあつかい、残りを土台の歪みとしてあらわす。非平衡度の 2次のオーダーなら、どのような技巧をこらしても、局所平衡からの補正を考 慮しないといけない。以下、「輸送」の記述の部分と局所的な歪みがオーダ ー by オーダーで変更されていく。

つまり、局所的な土台が非平衡性によってどう代わるのか、という知見なしに、 強い非平衡度で生じる現象については、何もいえない。一方、上で述べた摂動 論的考察を(原理的にでも)実行できるのは、希薄気体に限定されている。(その 希薄気体においても、高次の計算は、現実的には不可能に近い。) つまり、非 平衡度が大きいところで理論化することは不可能に思える。

この絶望的な状況を救う唯一の道がSSTの成立である。輸送とか応答とかなどの最 初にみえる現象から一旦離れ、遠まわりにみえても、「局所的な土台の変更にルール があるのかどうか」をまず問う。そして、それは摂動論的なものでなく、一般的 な原理としてのルールの成立を問う。

もし原理があれば、それを踏まえて、よりマクロな現象をSST流体記述などで考えて いけばよい。つまり、非平衡定常状態の問題の核心は、「局所的な非平衡定常状態 を記述する原理があるかどうか」に尽きる。 ここに原理がなければ、非平衡につい ては各論でいくしかない。(そういうもんだ、として受け入れるしかない。) だから SSTなのである。

局所なくして大域なし。わかってみればこれは自然なことだが、そういう発想の 問いかけはなかった。「『大域から局所へ』は技巧の産物であり、『局所から大 域へ』こそが自然な道である。」という意識は、専門家ほど忘れてしまっていた かもしれない。

線形非平衡統計に本質的な寄与をしたオンサーガーも、逆にその成功のゆえに、 「(局所的な平衡状態記述にもとづいて)大域的な非平衡定常状態を記述する原理が あるかどうか」という問いかけでさらなる一般化を模索した。プリゴジンのエント ロピー生成最小原理の問いかけも同じ発想にある。非平衡の変分原理の成功が線形 非平衡領域でしかなかったのは、こうしてみると当然のことに思えてくるる。

Sasa-Tasakiの論文により、SSTはそういう原理として(ほぼ唯一の)可能性が残り、 その原理そのものを具体的に検証できる命題がだされた。したがって、「局所的 な非平衡定常状態を記述する原理があるかどうか」を問う山場を迎えたといって よい。論文のintroductionで簡潔に書いてあるように、論文の位置付けはそうい う点にある。